ようこそ、保健所情報支援システムへ。~平成28年度地域保健推進事業(全国保健所長会協力事業)~

社会運動としての住民健診

専門家意見

社会運動としての住民健診

沖縄県立中部病院感染症内科・医師 高山義浩

先日、職場での健診を受けました。血圧測定、尿検査、胸部レントゲン、聴力検査、心電図・・・ 流れ作業のようにチェックを受けながら、品質管理を受ける中古のアンドロイドになった気持ちです。修理工場に回されなければいいのですが・・・

ともあれ人間扱いはされていませんね。この健診でどれほどの疾患が早期発見され、かつ早期治療につながっているのでしょうか? あるいは、どれほどの人が「毎年健診を受けているから大丈夫」と過信して、受診の遅れにつながっているのでしょうか? 軽微な数値上の異常を伝える紙切れ一枚の通知をみるにつけ、ある種の空しさすら感じてしまうのです。

少し思い出話をさせてください。

長野県の田舎の病院で働いていた7年ほど前のこと。外国人向けの健診活動をはじめたことがありました。

この病院で私はエイズ診療を担当しており、とくに外国人のエイズ発症者の多さに手を焼いていました。私が働いていた5年のあいだに37人の新規HIV陽性者を認めたのですが、うち12人が外国人だったのです。その多くが滞在資格もないままスナックなどに就労している女性で、彼らに共通した問題は、エイズを発症して重症化するまで受診しないということでした。

長野県におけるエイズ拡大防止において、外国人陽性者を早期に発見することの重要性は疑うところではありませんでした(もちろん他にもすべきことは多々ありましたが・・・)。しかし、滞在資格のない外国人女性が保健所や医療機関を自主的に受診して、HIV検査を受けることなど考えにくいことです。彼らは、何より摘発を怖れていましたし、HIV感染の事実を知ったからといって「できることなど何もない」と考えていました。

事実、彼女たちの多くが「エイズを発症しつつあるのではないか」と体調不良に気がついたとき、「死ぬまでの間にできるだけ多くのお金を両親に仕送りしたい」と必死で働く傾向がありました。そして、コンドームをつけたがらない客に対して、もはや自らの身を守る理由が希薄になっていることもあり、より多くチップを手にするサービスへと流されてゆくのも理解できることでした。

病院で待っていても、ただエイズ発症した女性たちが運び込まれて来るばかりです。まだ健康だと信じていたり、ぎりぎりまで受診を先のばしている外国人との対話の場を私は必要としていました。これが外国人健診を呼びかけることになったきっかけです。

さいわい、病院内で有志を集めることに苦労しませんでした。病院幹部もバックアップしてくれました。次に、私は保健所を巻き込むべきだと考えました。民間ベースで課題を共有して汗を流していても、局所的な解決にとどまってしまうでしょう。行政こそが課題の背景を認識すべきであり、そこへアドボカシー(特定の問題に対する政策提言活動)するのが民間による社会活動の重要な役割ともいえます。

幸いなことに保健所長は極めて柔軟な発想の持ち主であり、かつフットワークに溢れていました。「健診ブースのひとつを先生に担当いただきます。ぜひ、外国人の声を直接聞いてあげてください」と私が言うと、「ぜひ、やらせてください。こんな貴重な機会はそうそうないですよ」と二つ返事でこころよく承諾してくださったのです。

ただし、手伝ってくれることになった保健所との打ち合わせのなかで、ちょっとした議論になったことがありました。それは、健診項目にHIV検査を盛り込むべきかどうかということでした。保健所側からは「せっかく集まってもらうんだから、強制はしないまでも検査をすべきじゃないですか?」という意見が出ていました。

もちろん、自主的な検査希望者については、十分なカウンセリングを果たしたうえで実施すべきでしょう。しかし、健康保険も滞在資格もない外国人においては、仮に陽性であったときにサポートする制度が存在しないため、宣告するだけの検査となってしまう可能性があります。医療へのアクセスが保障されている日本人のHIV陽性者ですら、自殺者が多発している現状を考えると、十分な情報源をもたず、教育も十分に受けていない移民労働者に事実だけを伝えて「あとは何とかしなさい」では無責任すぎます。私たちは何のために外国人への健診を展開しようとしているのでしょうか? 彼女たちの顧客を守るため? 陽性者をあぶり出して帰国させるため?

ですから私は、こう主張しました。

「HIV検査を勧奨するのは、個別のケースで臨床的に求められる場合に限ることとしませんか? すでに免疫不全を疑わせるような症状があって、彼らのためにHIV検査を急ぐ必要を認める場合です。しかし、なんら症状もなく、検査を受ける必要も認識していない外国人に対してまで呼びかけるべきではありません。陽性であったときに支援する制度もないのに、宣告するだけの検査ならしない方がマシじゃないですか? 滞在資格のない外国人HIV陽性者について、ここにいる誰が責任をもって対処できると言うのですか? 帰国させるしか能がないでしょう。そんなの責任をとったとは言えません。病院も、保健所も、この健診によって外国人からの信頼を失いますよ。私たちの医療体制は、外国人にHIV検査を推奨できるだけの成熟をみていないのです。これは私たち日本人側が持ち帰るべき課題だと気づくべきです」

ときに医療者は自らのニーズに耽溺しがちです。これをやると早期発見できるじゃないか? 死亡率を下げられるじゃないか? と・・・。病院のなかでそれをやるのは上等でしょう。でも、地域に出て行ったとき、すでに主客逆転していることに気づかなければなりません。患者でもない市民に対して、私たちは医療者としての価値観を押し付けてはなりません。

保健所長は私の意見に共感してくださり、HIV検査を呼びかけない外国人健診活動が始まりました。初回は、東南アジアに活動拠点を有する国際NGOの協力もえて、長野県内にある外国人が集う仏教寺院の新年行事にあわせて開催しました。主催は病院ではなく寺院として、相談の最後も医師ではなく、外国人僧侶による説法で締めくくるようにしたのです。

その後は、地域のタイ料理店で開催したり、病院内で開催したり、やがて大使館と共催にしたりと発展してゆきました。毎回数十人の健診希望者が訪れましたが、喘息などの慢性疾患を増悪させながら働きつづけていたり、日本社会への不適応で精神的に不安定になっていたり、帰国が必要と判断されるケースも少なくありませんでした。問診していると「(母国に)帰りたいが、帰り方が分からない」と号泣されることもありました。こんなとき、保健所のみならず大使館がいてくれると、すぐに協力して対応することができ、健診活動における多分野連携の重要性を強く実感させられました。

また、市内のショッピングセンターでは、店長の好意により月1回の外国人健康相談会を開催することができました。毎回5名前後の相談者がありましたが、その内容は極めて多岐にわたりました。収縮期200以上の高血圧、中枢性が疑われる眩暈、小児の巨大な甲状腺腫など、病院へと紹介を要するケースもしばしば認められ、項目を決めた健診とは異なる相談会ならではの情報共有ができたと思います。

「で、長野県のエイズ発症者が減少したの?」と結果を急ぐ方もいらっしゃるでしょうね。

それは分かりません。疫学的に分析すれば、何らかの評価が得られるかもしれませんが、私はそんなことを試みません。なぜなら、それはもはや健診活動の目的ではなくなっていたからです。大切なことは、こうして病院と保健所と外国人コミュニティのあいだに、信頼関係が育まれはじめたということだったんです。

少しずつ外国人のあいだでは口コミになり、「病院が外国人の健康を気遣ってくれている」とか、「保健所は摘発せずに相談に乗ってくれている」とか、そういう理解が醸成されるようになりました。こちらは統計をとっていたのですが、私の働く病院では、外国人の初診患者が徐々に増加してゆきました(おかげで未収金も増加しましたが)。そういうなかで、HIVという数ある問題のひとつについて、理解をひろめる活動をしてゆけばいいのですよね。外国人が学ぶべきことを伝え、私たちが整えるべきことを知る。そんな、双方向の活動でもあります。

「客観的必要性(ニーズ)を主観的要求性(ディマンズ)まで高めることこそが、私ども技術者の任務であり、その努力が「運動」である」

これは、日本の健診事業のモデルとなった、八千穂村(現・長野県佐久穂町)全村一斉健診を指揮した若月俊一先生の言葉です。病院が住民にとって遠い存在だった時代から、「農民とともに」の精神で地域住民のなかに積極的に入り込み、住民と一体となって健康運動に取り組んだ医師でした。

こうした、若月先生にはじまる住民健診の歴史を振り返っても、そして私自身のささやかな足跡を辿ってみても、やはり私は「そもそも住民健診活動とは社会運動である」と結論づけています。「健診やると老人医療費が抑制できるんじゃないか」とか、「早期診断によって当該疾患の死亡率が抑制できるんじゃないか」とか、そういう色気のある話ではないのですね。

もし、いまの住民健診が「宣告するだけの流れ作業」に貶められているとすれば、そんなものはさっさとやめてしまった方がよいと私は思います。そして、いま一度、私たちは医療者としての原点に戻り、地域住民との対話の場を模索し、自らの医療サービスの限界を知り、それを住民とともに克服してゆく社会運動をはじめるべきだと思うのです。

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【写真】 院内で外国人健診を開催したときの様子。右上は保健所長。素晴らしい連携をしてくださいました。

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